1995年1月17日朝のこと… |
いつものように私は朝食の準備をしながら短波のラジオジャパンを聴いていて
ラジオでは、東海道新幹線が全線止まっている…というようなニュースを流していました。
断片的にそのことを耳にした私は、ああ日本も全国的に大雪なのかなぁ…
と、大して深刻に考えもせず、雪なので早めに出ようと食事を済ませ早々に出かけました。
(仕事場は徒歩10分ちょっとの所にありました。)
こんな大きな地震が日本でおきていたとは思いもせず…
仕事の帰り道…友人のBBS(Bhutan broadcast service)に勤めるツェウォンに会い…
「nishioさん、大変だねぇ…日本では大きい地震があったらしいよ、西の方で…」
「earthquake」の単語を知らなかった私に他の表現で平たく意味を説明もしてくれた(恥)
2日後(19日)王室からの要請で首都ティンプー在住の日本人が召集されました。
タシチョ・ゾン(役所と宗教施設が混在した建物)にて地震に遭った犠牲者への法要を
してくださると言うことでした。 こういった心遣いがなんともこの国らしいのです。
仲間の中には神戸出身者もいて「まだ連絡が取れない」と不安そうな面持ちでいました。
(結局、彼のうちは 無事だったんですが…)
新聞記事は「地震犠牲者へ祈る人々」とでも訳せばよいでしょうか?
「Kuensel(クエンセル)」より(新聞記事のearthquake…綴りの「r」が抜けていますね。)
(現 第5代国王のJigme Khesar Namgyal Wangchuck)で
3番目が当時のダワ・ツェリン外務大臣(Dawa Tsering)です。
犠牲者の方々へ1000個のバターランプに全員で明かりを灯しました。
「阪神・淡路大震災」から、丸14年の月日が流れました。本当に早いものです。
当時情報を入手する方法は、BBSのラジオ放送(現在はTV放送もあります)と短波の
ラジオジャパン・・・そして週に1回発行の新聞「Kuensel(クエンセル)」くらいでした。
インターネットで情報を入手することも出来ませんでした。
この2ヵ月後に起きた「地下鉄サリン事件」もそうですがこの大きな事件2つは
リアルタイムで映像を見ていないせいか、いまだに自分の中では遠いところで起きた事件
のような感覚が抜けないのです。
その2日後に、王室から首都在住の日本人が召集されて、犠牲者への法要をしてくださったとは、驚きました。
心の温かな国なのですね。
わたしは、その時は、関西の平野が見渡せる高台に住んでいたのですが、あちこちで煙が上がり、ヘリコプターが何機も行き交う光景が目に焼きついています。
高速道路が、飴のようにゆがんで落ちている写真は、現実のものには思えない光景でしたね。
その2ヶ月後に起きた「地下鉄サリン事件」が起きた霞ヶ関駅は、なんと、わたしが結婚する前、働いていた職場の最寄駅だったので、他人事とは思えませんでした。
ほんとうに、2つの出来事は、前代未聞の大事件でしたね。
日本では、連日そのニュースで明け暮れていましたが
日本に住んでいらっしゃらなかったのなら、きっと現実味のない出来事だったかもしれませんね。
ちょうど今日で地震が起きて14年にもなるのですね。
黙祷・・・。
ブータンで法要をしていただいたとき…日本人代表のような思いで
バターランプに明かりを灯しました。わたしなりに心から祈りました。
ブータンはチベット仏教の「何人にも分け隔てなく手を差しのべる慈悲の心」
その教えが人々に染み付いている国ですね。
被害にあった お近くに住んでおられたのでしたら
相当の「揺れ」の恐怖を体験したことでしょう…ましてや映像でなく
住んでいるところから被災地を目の当たりにしたとあれば
そのショックは、とても私には想像できないほどです。
昨日の夜もNHK総合で事故当時のドキュメンタリーをやっていましたが、
人々のあらゆるショックと混乱を改めて感じました。
「地下鉄サリン事件」…私も良く通っていた所ばかりでしたので
自分がいた可能性があることを想像すると背筋がぞっとしますね。